【自衛隊の思い出】前期教育での体験談#4行軍訓練

体験談

前回は、野営訓練の思い出についてお話ししました。

【自衛隊の思い出】前期教育での体験談#3野営訓練
前回の記事の続きです。前回の記事はこちら↓ 前回は射撃訓練での体験談について書きました。今回はその後に行った野営訓練について書いていきます。それではいきます! 野営訓練 皆さんは野営訓練という言葉を聞いたことがあり...

今回は、前期訓練終盤に行った行軍訓練について書いていきます。これが、意外ときつかったです。

それでは、思い出を語っていきます。

スポンサーリンク

まずは慣らしの10キロ行軍


出典元(陸上自衛隊HPより引用)

私がいた教育隊では、行軍を2回に分けて行いました。まずは10キロそして、25キロというふうに分けられていました。

歩く時の装備ですが、銃、鉄帽、サスペンダー、弾帯、背嚢(リュックサックみたいなもの)その中に、着替えなどが入っており15キロぐらいという装備で行軍を行いました。

まずは10キロということで、私は「10キロなんて楽勝でしょ!」と舐めていました。皆さんは「え?」と思うかもしれませんが、毎日ランニングで倍くらいの距離を走っていたので、楽勝だろうと思っていました。

そして、当日を迎え10キロ行軍がスタートしました。コースは駐屯地を3周するもので、同じところを回るので景色を楽しむことはできません笑。

いざ始まると、「やっぱ楽勝だな」と思いながら歩いていました。しかし、折り返しの5キロを過ぎたあたりから、腕の感覚が麻痺してきました。長い時間重い物を背負っているので、痺れてしまったようです。

何度も途中で荷物を降ろしてしまおうかと迷いましたが、何とか完走することができました。同期も皆脱落することなく完走できました。

終わった後に同期と「今回は10キロだったので良かったけど、次は25キロなので、やばいよな」と同期と話し合ったのを覚えています。

その日は、疲れが凄く消灯後すぐに寝てしまいました。

地獄の25キロ行軍

10キロ行軍から、1週間後25キロ行軍が行われました。コースは前回と違い、駐屯地外に出て近くの山へと向かうコースでした。傾斜のある所を通る為、体に大きな負担がかかることが、始まる前から予想していました。

10キロ行軍同様、序盤は軽快に進むことができました。しかし、途中で大きなトラブルが起きました。同期の1人が失神してしまったのです。原因は血流が悪くなってしまったことでした。それでも行軍は何事なかったように再開されました。

15キロ地点で、昼食を含めた大休憩を行うと決められていたので、それを目標に頑張りました。そして、15キロ地点に着いて、背嚢(リュックサック)と銃を降ろした瞬間、とても面白い体験をしました。

体がとても軽く感じて、まるで重力が半分以下になったような感覚でした。それと、後ろに引っ張られるような感覚がありました。
しゃがむと、後ろに倒れてしまうぐらいです笑。同期も同じようなことを言っていました。

昼食休憩を終え、山を下り始めました。「登りより下りの方が簡単だろからもう終わったようなもんだな。」と思いながら歩いていましたが、膝と踵に大きな痛みが来て、とても辛かったです。皆同じような状況でペースが大幅に落ちてしました。

そんな時でも、教官たちは「ペースを乱すな!!」と激を飛ばしながら先陣をきって軽快に歩いていたので、流石だなと感心したものです。もちろん、教官も私たちと同じ装備です。それどころか、背嚢の中の荷物は私たちよりも重いです。

そして、無事に駐屯地に到着しました。

本当の地獄は駐屯地に到着してからだった

駐屯地に到着して、皆安堵の表情をしていました。しかし、教官から驚きの一言が「駐屯地の皆さんが出迎えしてくれてるから、お前らハイポートで行くぞ!」と。私は、「ふざけんな!」と心の中で思いながらも従うしかありませんでした。

ちなみに、ハイポートとは銃を持った状態で走ることです。今回はそれに加えて背嚢も背負っている状況です。

これは、本当に地獄でした。気絶しそうになりながらも走り続けました。体中が痺れていました。
これを楽勝と言える人は、すごすぎます。

はっきり言って、この時が自衛隊生活の中で一番キツかったです。

ハイポートが終わり、これで行軍訓練は終了しました。私は、もう二度とやりたくありません。

今回はここまでです。また時間がある時に次の思い出を書いていきます。

コメント